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シャチの素敵なストーリー(2)- 飼育員の迫真の演技

 私がシャチに惹かるきっかけとなったエピソードを連載していきます。 
 鴨川シーワールドの季刊誌、書籍、インターネット上のニュースや写真で情報収集したものを、筆者独自の観点からまとめたものです。引用される場合は、ご連絡下さい。 

 鴨川シーワールドは、昭和45年(1970年)10月1日に開業した。
 初代館長:鳥羽山照夫氏(故人)は、水族館のオープンにふさわしい生き物を紹介したいと考えていた。
 シャチの飼育は1964年にシアトル水族館、サンディエゴ(フロリダ)のシーワールド、カナダバンクーバー水族館で始まったばかりで、生態、飼料、飼育方法についての資料もわずかだった。
 しかし、館長はシャチという素晴らしい動物を日本に紹介したいと考えていた。海外からのシャチの輸入はなかなか上手くいかず、たまたま東京湾にシャチの群が迷い込んだと知ると、ヘリコプターをチャーターして捕まえようと試みたこともあった。

 昭和45年(1970年)9月4日、待望のシャチ(オスのジャンボ、メスのチャッピー)がアメリカからやってきた。
 2頭は4ヶ月もしないうちに、11種類のパフォーマンスを覚え、大人や子供を驚かせ感動を与えた。
 しかし、飼育開始後3年半でジャンボが、その3ヶ月後にチャッピーが死亡した。当時、アメリカの水族館でも最長飼育記録は3年だった。
 2頭の死を無駄にしないためにも、館長は、つぎのシャチの入手に逡巡した。

 2頭の死から7年後の昭和55年(1980年)2月11日、アイスランドから2頭のシャチ、オスのキングとメスのカレンを輸入した。
 館長は、入社4年目の獣医にシャチの生態を研究し飼育にあたるように指示した。
 問題は、エサである。アイスランドのセイディラサフニドでは、キングとカレンは生のニシンを与えられていた。しかし、水族館のエサは、手に入りやすく価格が安定していることが必要条件だ。千葉で、生のニシンを確保し続けることは難しい。
 冷凍サバを与えた。アイスランドから30時間を越える空輸で、キングとカレンは空腹なはずなのに、冷凍サバには見向きもしない。サバはプールの底に沈んでいった。
 しかたなく、生きた魚を仕入れてプールに入れた。2頭の目の色がかわり、美味しそうに食べた。

 ある日、獣医は、プールサイドで暴れる魚を必死で腕にかかえる飼育員を見た。キングとカレンの目つきが違う。魚が飼育員の腕からプールに落ちると、シャチは魚に突進し、あらそって美味しそう食べた。

 獣医が「生きた魚が手に入ったんですね」と声をかけると、飼育員は「生の魚なんてねーよ」と答えた。
 飼育員は、冷凍の魚があたかも生きた魚であるように、腕の中で巧妙に死んだ魚を動かすという迫真の演技をしたのだ。
 それから、キングとカレンは食わず嫌いを克服して、冷凍サバが好きになった。



(手前からステラ、ラン、ビンゴ   2010年12月撮影)

(アースのためにエサを要求するラビー   2010年12月撮影)

☆☆☆参考文献☆☆☆

出典:鴨川シーワールド「さかまた」 NO26、45、60、61、63、74、75
鴨川シーワールド 海の生き物教室「シャチとともに40年」
勝俣悦子「わたしはイルカのお医者さん」岩波書店
井上こみち「シャチのラビーママになる」国土社

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